特集:b-flower『純真』レビュー


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鈍く輝き、深く沁み、そこに在る、愛の歌

 

 

夏目漱石はI Love Youという言葉を月が綺麗ですねと訳したとされる。この話には諸説あるけれど、彼の作風から考えるに、デマとしても確かに良く出来た話ではある。で、仮にあったこととして、何故漱石がそんな訳し方をしたのかと考えるに、あなたを愛してますという直訳では、そのフレーズに生命を吹き込めないから、と漱石が判断したからではないだろうか、と僕は思っている。


あなたを愛してますとそのまま訳す、口にするのは簡単だけれど、本当に愛してますという言葉を相手に届ける際に、その言葉の意味を字義通りに伝えることができるのか。その言葉は辞書に載る意味通りに、生きた言葉として、生きた思いを込め、届けることが出来るのか。漱石は最後まで、I Love Youという言葉を、その言葉のまま、ストレートに伝えられなかった。それは現実の生活においても、小説の中でも。だからこそ「それから」や「こころ」を書けたのだろうけれど、それは彼の周りの人、とりわけ家族たちに、様々な不幸をもたらしたと思う。


八野英史は今回、純真という新曲で、今までになくストレートな詞を書いた。過去の作品、直近の四月の恋と比しても、その差異に唖然とする。彼もまた月が綺麗ですね的な表現を常にしてきた人だから。


が、聴けば分かるはずだけれど、そこに違和感はない。それは今まで僕らがbを聴いてきて、月が綺麗ですね的な表現に込められていたものの中にあるメッセージを、ちゃんと受け取れてきたからだろうと思う。ただし、それはまた諸刃の剣で、bの、八野英史のリリシズムが、難解なものとして広まらなかった原因として、月が綺麗ですね的な表現が伝わってこなかったという現実があったと思う。だからこそ、僕は純真が嬉しい。


純真では、月が綺麗ですね的ではなく、そのままな言葉が、そのままの意味で届いてくる。漱石は「それから」でも「こころ」でも「夢十夜」でも、結局I Love Youという言葉を使えなかった。八野英史もFive Beans Chup結婚しようでは、歌い手は子ども、という設定をすることで責任を巧妙に回避した上でI Love Youと歌ったけれど、遠回りを必要とした。それくらい、言葉を大切にする者には高いハードルを、八野英史は今回越えてきた。I Love Youと同じくらいにストレートで、同じくらいに重いYou are the one for meというフレーズを使っている。それが、そのままの意味で、届く。鈍く輝き、深く沁み、そこに在る、解釈の逃げ場を排した、愛の言葉。漱石も、数多いる表現者の到達し難い領域に、八野英史は入ったのだと思う。ハードルを越えた先にある風景は、月が綺麗ですねの表現が抱える意味を探す手続きを必要としない、誰もにストレートに伝わる真っさらで鮮やかな世界が広がっている。


bが長い冬眠を経て復活したのは、きっとこの歌を歌うためだったのだ、と言い切ってしまおう。


日下部将之

ムクドリの会


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