Frosty 1
Tracks:
Aspidistra / Me and the Almost Beautiful Girl
Songs: Graeme Elston
Recording: Pearl Studios, Liverpool
Sleeve photo: Akiko
このレコードを作ったのは、しゅがふろプロジェクト1で再発したビナペ+ラブパレのオリジナルリリースのフレキシ(ソノシート)が出たその年の秋です。ラブパレードのグレアムエルストンがリバプール大学に入学、私もグラスゴーからリバプールに居を移したところでした。しゅがふろチームの私とジョン、グレアムの3人はけっこうすぐに親友になっちゃって、7インチをやろう!ってことになった ー というか、ファンジン〜フレキシの流れの次は7インチしかないでしょう〜みたいな感じだったです。
この辺は説明を入れないと分からないんだけど、私のいたC86周辺のファンジンムーブメントってフレキシとカセットコンピ主流だったんですよ。だから友達のマットとクレアがサラっていうレーベルを立ち上げて7インチを出した時は、おおおお〜7インチ!みたいな、とうとう!っていう(それは日本でロリポップソニックがフリッパーズギターとなってCDを出した時のおおおお〜CD!と同じ感じ)のがあって、とにかく7インチ=ワンランク上っていうのがあったんですよ。
だからそれまで書いてたファンジンジョージスクウェアから5000マイルを完結させてこれを作ったということは、ほんとにステップアップの意味があったんですよね。サラは友達だけどレーベルとしては意識してなくて、むしろ同期としてはスペインのエレファントやシエスタ、アメリカのスランバーランドなんかの方が親しくて、レコード交換*もよくしてました。
ジャケの淡いブルーの写真はまだ18歳かそこらのマッシュルームなグレアムで、リバプール大聖堂の裏の墓地で撮りました(オリジナルは写真のへやで公開してます)。当時はもう卸も弱小インディーは扱いたがらなくなっていたんだけど、このレコードをラッキーにも卸に乗せることが出来たのはひとえに、ブリストルのリボルバーという卸に友人のマーティン(サブウェイ・オーガナイゼイションのオーナーでフラットメイツのギターのマーティンホワイトヘッド)が働いてて、彼の「くぅぅぅ... よっしゃやったるで!」的な苦渋の選択があったからなのですね。
しかし彼の英断を無駄にすることなく、この無名のレコードはたった半年でプレスした500枚全て売り切れたのです。このおかげでリボルバーには最後までお世話になれました。
*弱小インディーレーベル同士で10-20枚在庫の物々交換をして自分の通販カタログに加えること。
余剰在庫の解消にも役立つのでみんなやってました。