以下の文章は Friends of B-flower + Livingstone Daisy 通称ムクドリの会のFacebookページにて発表しているBフラワー曲紹介エッセイの転載です。私の書いたこの文章は、しゅがふろの生まれたリバプールの下町が題材となっていて、合わせて作った動画もその当時に私たちの住んでた家と決して美しくなかったその近辺の当時の写真を集めました。しゅがふろの原点がここに!(^o^)
ムクドリの会について詳しくはこちらのページをご覧下さい。
ちなみに、このBフラワーの曲の中には「キッチンを塗り替える」ということがくり返し出てくるんだけど、写真のキッチンも私が自分で塗ったりしてたのです。マカロニまでは塗らなかったけどね(笑)間奏のところでグレアム(Pure/ EvaLuna)が出てくるのはご愛嬌ということで〜。しゅがふろメインアーティストの彼はこの家に入り浸っていたんで家族みたいなもんやったからね。その写真は家の近くのスタンリーパークというところで、ここを歩いてリバプールFCの試合をよく観に行ったものです。
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『紺碧の空、キッチンの赤い壁』
作詞作曲:八野英史
文章と動画:山内章子
なんで、恥ずかしくなかったんだろう?
この曲がはじまるとすぐ、目に浮かぶバックヤードの風景。
赤煉瓦。壁を這うボストンアイビー。
♪こーんぺきのぉーそら いちどぉーはみてみたーいよ♪
そこから見上げる空は紺碧であるはずもなくいつものくすんだグレイで
そこで声をはりあげてるのはスウィートな八野英史ではなく
世界一音痴な私なのだった。
ここは、リバプール。
ウェルブロウロード、149番地。
ビクトリア時代のテラスハウスと言えば聞こえがいいけど、
要するに赤煉瓦でできた庶民の長屋。
はてしなく広がるそれのひとつに私達は住んでいた。
いいことと言えばリバプールとエヴァトンという
2大サッカーチームのグランドに歩いていける距離だったことだけ。
子供による幼児誘拐殺人事件として世界的に知られることになった
ジェームスバルガー事件の死体発見現場とは目と鼻の先だった。
そういう、ところ。
その痛ましい事件があった1993年に
この曲を含むアルバム、World's End Laundryはリリースされました。
そんな空気の中で、
私は学生時代に安く買った白いラジカセを
いくつか鉢植えのあるだけの狭いバックヤードに持ち出して、
テープに録ったこのアルバムを何度もくりかえしくりかえし聴いては
いつもそれに合わせて三軒両隣に聞こえるような大きな声で歌ってたのです。
♪こーんぺきのぉーそら いちどぉーはみてみたーいよ♪
今じゃそんな恥ずかしいことはできないのに
あの時はなにか、小さなプライドのようなものさえ感じていた。
自分の持つことばで歌をうたうこと。
このからっとした曲で、重くたちこめるリバプールの空気を払拭しようと
していたのかもしれない。
右隣にはぶさいくな双子の男の子と
清掃もされないバックヤードに放置されたままの3匹のロットワイラーがいて、
左隣にはDJの男とやたらと夜の声が高い女が住んでいた。
今でも149番地を見つけると
あーバッドラック!と笑うのだけれど、
そんなバックヤードにも
毎年きれいに咲いてくれるスズランの鉢植えがあったし、
引っ越しのときにちょろっと流れた涙は手伝いにきてたグレアムに見つかって
さんざんからかわれた。
今は信じられないほど広くて抜けるような青空の下にいるけれど
この曲を聴いて思い出すのはやっぱり、あの小さなバックヤードとグレイの空。
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英題 "Country Robinson"
1994年にリバプールSugarfrostレーベルよりリリースのシングル"Strings" B面収録
収録アルバム:b-flower "World's End Laundry"
(1993年東芝EMIスイートスプエスト)
動画で使用した写真は最後の八野プロモ写真以外は当時のしゅがふろすとHQ「ウェルブロウロード、149番地」とその近辺のものです。決して美しいところではなく、時には殺伐とした雰囲気もある中、それでも皆それなりに楽しく暮らしているワーキングクラスの下町の生活感を感じてもらえたら幸いです。